●デボーションからの黙想(30)~ボンヘッファー『主のよき力に守られて』より◎定旋律と対旋律

「もしある人がどんなに強い愛を持っていたとしても、その愛ゆえにこそ人間の生のポリフォニー〔多声から成り立つ音楽〕とでも言ってよいものを失ってしまうという危険がある。」
(ボンヘッファー、『主のよき力に守られて』より)

 賛美を歌うとき、多くの場合私たちは主旋律を歌います。たいていはソプラノを主旋律としているので、楽譜の一番上に並んでいる音符に従って歌っています(歌っているつもりです)。ときおり、アルトやテナー、バスといった副旋律というのでしょうか、楽譜の2段目より下の音符を歌ってくださり、賛美を美しく響かせていてくださいます。このように主旋律と副旋律の音楽では、副旋律は伴奏であり副であって主ではありません。
 これに対して、定旋律と対旋律の音楽「ポリフォニー」というのがあるそうです。メロディーやリズムの異なっている複数のパートが、主旋律や伴奏の区別なく対等に扱われ、それらが折り重なるように奏でられ、全体としてすばらしい調和が形づくられている音楽のことです。「パッヘルベルのカノン」などがそうなのでしょうか。
 どんなに強い愛であったとしても、このポリフォニーを失ってしまっては、愛としては成り立たないと、ボンヘッファーは語ります。強い愛であればあるほどポリフォニーを失いやすいのかもしれません。自分の愛を主張するために周りの人を伴奏にしてしまってはそれはもはや愛ではありません。
 音程やリズムがそれぞれに違っていて、その違いのままに、神さまの御手の中で不思議な調和をいただいている所、それが教会であり、また私たちの人生であってほしいと思います。


投稿日

カテゴリー:

,

コメント

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

CAPTCHA


このサイトはスパムを低減するために Akismet を使っています。コメントデータの処理方法の詳細はこちらをご覧ください