●デボーションからの黙想(29)~ボンヘッファー『主のよき力に守られて』より◎神さまの前に沈黙するとき

「み言葉は、騒がしい者にではなく、沈黙している者に来る」
(ボンヘッファー、『主のよき力に守られて』より)

 天と地を造られたまことの神さまは、私たち人間に語りかけてくださる神さまです。聖書の言葉を通して語りかけてくださる神さまです。私たちは耳をそばだて心を開いて神さまの語りかけを聞きたいと思います。神さまの語りかけを聞かないで人生を歩もうとすることは、やみくもに突っ走る自動車のように、周りの人に危険であり、その人自身も破壊されてしまうでしょう。
 神さまはどの人にも分け隔てなく語り続けていてくださいます。聖書は常に私たちの前に開かれているのです。ですからいつでも私たちは神さまのみ言葉を聞くことができます。
 もし聞こえてこないとすれば、心が騒がしくなっているのかもしれません。マルタ(ルカ10章38節以降)のように騒がしくしている時には、み言葉はやってこないのかもしれません。
 瓶に水を入れるためには、先ず瓶をからっぽにしなければなりません。そのように神さまのみ言葉をいただくために、心の中をからっぽにしましょう。礼拝ではまず「黙祷」をしますが、騒がしい心ではなく、神さまの前に沈黙し、静かな心、からっぽの心にして、み言葉をいただくための備えをするのです。


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