●デボーションからの黙想(26)~ボンヘッファー『主のよき力に守られて』より◎要求と願い求めること

「(神さまに)何事も要求してはならないが、何事でも願い求めることができる」
(ボンヘッファー、『主のよき力に守られて』より)

 主イエスさまを信じる者は、天と地の創造者であり今もすべてを総べ治めておられるまことの神さまに祈ることができます。どんなに大きなことも、どんなに小さなことも祈ることができます。まことの神さまは、私たちの祈りに答えてくださいます。私たちの想像したことよりもはるかに、大きく豊かな答えをもって私たちに応えてくださいます。
 それはこの神さまが全知全能の神さまであると同時に、愛の神さまだからです。
 この私たちの祈りは、願い求めることであって、要求することではありません。要求する心には、神さまから受けることが当然であるとの考えがあります。しかし願い求める心には、罪人である私は受けることなど到底あり得ないにもかかわらず、豊かに与えてくださる神さまとの人格的な交わりがあります。神さまへの愛、神さまへのおそれがあります。すなわち信仰があります。
 私たちの祈りは、神さまへの愛とおそれをもって願い求めることとなっているでしょうか。それとも受けることが当然であるかのように要求している祈りとなってはいないでしょうか。
 おさなごのように、父なる神さまに、願い求める者でありたいと思います。


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