●デボーションからの黙想(23)~ボンヘッファー『主のよき力に守られて』より◎愛はその場にふさわしい言葉によって

「すべて語られる言葉は、ある特定の場所に生き、そこに故郷を持っている。」
(ボンヘッファー、『主のよき力に守られて』より)

 上記の言葉は「家庭における言葉は、事務所や公の場所における言葉とは異なる。個人的な暖かい交わりの中で生まれた言葉は、公の冷たい空気の中では、こごえてしまう。職場で発せられる命令の言葉は、家庭の間ではその信頼のきずなを断ち切ってしまう。すべての言葉はそれぞれの場所を持つべきであり、またその場所を持ち続けるべきなのである。」と続きます。
 場所によって言葉が変わるのは不真実なことではないか、という指摘も成り立つかもしれません。しかし例えば、警察官として組織暴力を担当しておられる方が、やくざ相手の口調そのままに家族にかかわるなら、家族は恐ろしくって仕方がありません。やはり家庭では警察官である前に夫であり父であることが大切であるということです。
 教会において牧師として語る言葉と、家庭において妻や子どもたちに語る言葉も、異なるべきかもしれません。牧師も家庭の中では牧師である前に、夫であり父でなければならないということでしょう。


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