●デボーションからの黙想(22)~ボンヘッファー『主のよき力に守られて』より◎すべての言葉に真実を込めて

「『誓い』は、この世の中に嘘があることの証明である。」
~マタイ5:33~37から~
(ボンヘッファー、『主のよき力に守られて』より)

 イエスさまは「誓ってはならない」といわれました。どこかのキリスト教国では、何か大切な証言をする時に、聖書に手を置いて誓うことがあるそうです。イエスさまはそういうことをすべて否定されているのでしょうか。
 誓いとまではいわなくとも、私たちも日常的に「絶対に」とか「これだけは本当です」などといって、その時の言葉に「真実味」を持たせることがあります。しかしそれは、普段の何気ない言葉の中には「不真実」が含まれているということを暴露しているということでしょう。たとえば「国産品」などと表示するのは、そうでないものが氾濫しているからであり、「元祖…」「本家…」という看板を見かけるのも、そうでないものが氾濫する中で、真実味を持たせようとしているからでしょう。みんな国産品で、すべてが元祖や本家ならば、わざわざそのような言葉をつける必要はありません。
 イエスさまは、わざわざ誓って話さなければならないほどに、いかにこの世に不真実が満ちているかということを嘆かれました。だからこそわざわざ誓って話さなければならないような不真実な生き方をしないで、すべての言葉に真実を込めて話すような生き方をしなさい、とイエスさまはいわれたのです。


投稿日

カテゴリー:

,

コメント

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

CAPTCHA


このサイトはスパムを低減するために Akismet を使っています。コメントデータの処理方法の詳細はこちらをご覧ください