2014年のみことば 「生きて働く信仰の交わり」

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2014年のテーマ「交わり」
みことば 「生きて働く信仰の交わり」
(ピレモンへの手紙6節、使徒の働き2章42節)

●奴隷のオネシモをその主人ピレモンにとりなすパウロ

 使徒パウロは、信仰のために迫害され牢屋にとらえられていました。そこでオネシモという人物に出会います。オネシモはピレモンという名の主人のところから逃げてきた逃亡奴隷でしたが、パウロとの出会いによってイエスさまに導かれキリスト者になりました。なぜ逃げてきたのか具体的には記されていませんが、18節に負債のことが書かれていますので、主人ピレモンから盗みを働いて逃亡したのではないかと想像されます。このオネシモが主人ピレモンと和解をして新しく生きることができるようにとパウロはとりなしの手紙を書きました。それがピレモンへの手紙です。
 「オネシモ」という言葉は「役に立つ男」という意味を持っています。奴隷にはしばしばつけられた名前です。役に立つ男との名前をいただいたにもかかわらずピレモンのもとでは役に立たない男でした。しかしパウロの導きによりイエスさまを信じる者とされ真実に役に立つ男になったのです。今は主人ピレモンともイエスさまを信じる信仰の兄弟です。二人の交わりが回復するためにパウロは努力をします。
 なぜパウロはこのような努力をするのでしょうか。
「あなたの信仰の交わりが生きて働くものとなりますように」(6)とパウロは語ります。
 イエスさまを信じているといいながら、ゆるすことのできない人がいる、顔を合わすことのできない人がいるというのは、イエスさまの喜ばれることではないからです。交わりが壊れているというのは、単に人間関係の問題ではなく、神さまとの関係の問題、信仰の問題であるとパウロは語るのです。
 ですから私たちも、イエスさまを信じて生きるのですから、兄弟姉妹の交わりが、いつもうるわしく楽しく喜ばしいものであるように祈りましょう。

●神さまとの交わりが土台となって隣人との交わりへ送り出される

 ボンヘッファーは「イエス・キリストを媒介にしてのみわれわれは、相互に接触し、相互によろこびをもち、相互に交わりをもつのである」(ボンヘッファー、『交わりの生活』、聖文舎、31頁)と語りました。うるわしく楽しく喜ばしい交わりに生きるために、まず大切なことは、イエスさまとの交わりです。
 イエスさまとの交わりが確かにされて、初めて隣人との交わりが豊かにされるのです。神さまに愛されていること、赦されていること、支えられていることがよく分かって、その上で、隣人との交わりが成り立つのです。イエスさまとの交わりという土台の上に、隣人との交わりを築いていきましょう。オネシモをとりなすパウロもかつてはとりなしてもらった人です。迫害者からキリスト者に改心した後も多くのキリスト者はパウロを信用しませんでした。しかし神さまに導かれたアナニヤやバルナバといった人々にとりなしていただいたのです。多くの人々のとりなしによって今の自分があること。そしてその背後に神さまの愛があること。その愛を学ぶために神さまとの交わりを第一にしましょう。

●交わりのふりかえり方~神さまにゆだねること

 パウロはこのように交わりを大切に考えていましたが、パウロを取り巻く人間関係が常に良好であったわけではありません。キリスト者の中にもパウロに敵対する人々は少なくありませんでした。神さまのみこころに生きようとしても、さまざまな戦いが起こります。ですから、隣人との交わりのよしあしも、人間的な視点だけで計らないようにしましょう。イエスさまだけが交わりを評価することのできるお方です。イエスさまを土台としての交わりであっても、人間的に見てがっかりすることもあるかもしれませんが、イエスさまはすべてのことを働かせて益としてくださるお方です。人間的な視点、あるいは一時的な視点だけで交わりのよしあしをはかるのではなく、いつも主イエスさまに期待し、イエスさまにゆだねながら、交わりを大切にしていきましょう。


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