●牧会の机~魂への配慮の歴史より(40)◎子としての祈り

「私たちは、愛する子どもたちが、愛する父に語りかけるように祈ることができるようになればと思います。武骨な職人仲間、昔からの友人たちが、ぶっきらぼうに挨拶するような祈りをしたくありません。」
ヨーハン・ペーター・ヘーベル(1760~1826)

 ヘーベルは、ドイツ・バーゼルに生まれた詩人。ルター派の牧師、学校の校長、州議会議員でもありました。
 お祈りは神さまとの対話です。人格をお持ちの神さまに向かって話しかけることです。人間を相手に話しかけるとき、私たちはその話し方を微妙に使い分けています。親しい友人にはため口で話し、子どもには時に偉そうな口調で話してしまいますが、目上の人には敬語、謙譲語を使います。では神さまに向かってはどうでしょうか。ヘーベルは「愛する子どもたちが、愛する父に語りかけるように祈」りたいといいました。
 私たちは神さまの子どもにしていただきました。子どもが父に向かって祈るのですから、畏敬の念を込めて祈るべきでしょう。しかしそれは愛する父と子の関係でもありますから、恐れから解放されて親しみを込めて祈ります。この場合の恐れとは畏敬の念という意味での恐れですから畏れ(おそれ)の漢字を当てはめるのがいいでしょう。畏(おそ)れと親しみ。それこそ人間が神さまに向かうときのふさわしい姿です。このような祈りの時間は私たちの人生において何にも勝る喜びの時であるはずです。
 祈りの時を大切にしましょう。少なくとも「ぶっきらぼうな祈り」だけはしないようにしましょう。


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