●牧会の机~魂への配慮の歴史より(28)◎自分自身の考えること

「私は、自分自身の考えることによって、自分を苦しめているだけなのではないでしょうか。」
クリスティアン・スクリーヴァー(1629~1693)

 17世紀ドイツ・マクデブルクにて活動したルター派の牧師。マクデブルクは隔年でテレマン音楽祭が開催される所です。
 貧しい商人の家に生まれ幼くして父と兄弟の何人かをペストで失いました。母アビガイルが自分の愛する者たちのためにひざまずき声に出して祈る姿をいつも見て育ちました。3度妻を失い4人の妻から14人の子を授かりましたが、このうち二人だけがスクリーヴァーの死後まで生きることができました。つまり愛する者の死がいつも付きまとうような人生だったようです。死の床にて、多くの子どもを失いすっかり数が減ってしまった家族とともに聖餐を祝った際、4人目の妻であるエリーザベトから「あなたは、まだしっかりと、イエスさまをこころのうちに捉えておいでですか」と問われました。スクリーヴァーは「主がどんなに恵み深い方であるかを、今、私は味わい、見ているよ」と答えました。その日の午後、天に帰って行きました。
 病気、人間関係の問題、貧困、死、などなど・・・私たちを苦しめるものがこの世界にはたくさんあります。しかしスクリーヴァーは自分を苦しめているものは「自分自身の考えること」ではないでしょうか、と問いかけます。
 確かに、周りから襲ってくる事々によって私たちは苦しめられます。しかし同じような問題の中にあって、平安を失わずに生きる人々もこの世界にはおられます。結局は「自分自身の考えること」が問題なのかもしれません。
 あれこれ考えないで神さまにすべてをお委ねし、神さまが与えてくださる平安の中に過ごさせていただきましょう。特に暑い時は冷たいものをいただきながらボーとするのが何よりですね。


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