●牧会の机~魂への配慮の歴史より(26)◎神の内に沈潜する

「私たちの神は、いつも私たちの傍らにおられる。しかし、いかなるときにも、こころが静まり、一切の感覚が内に向かい、安息を与えられ、神の内に沈潜するようになっていないと、ご自身の存在を気づかせてはくださらない。」
ヨーハン・アルント(1555~1621)

 現在のドイツ中部、アンハルト地区に属するエッデリッツで牧師の息子として生まれたヨーハン・アルント。当初は医学を学びますが結局神学の道に進みます。
 神さまはいつも私たちの傍ら、そば近くにいてくださるのです。ですからいつでも私たちは神さまの守りの中にいることができます。神さまのその御翼の陰に安らぐことができます。憩うことができます。
 しかしいくらそば近くにいてくださったとしても私たちが神さまと反対の方向を向いているならば神さまを見出すことができません。その守りの中に憩い安らぐことができないのです。どうすれば神さまの方向をいつも向くことができるでしょうか。
 「こころが静まり」・・・心をざわつかせる一切のことを神さまの御手に委ね心を静めましょう。「一切の感覚が内に向かい」・・・五感のすべてを外の世界ではなく心のうちに向けましょう。「安息を与えられ、神の内に沈潜する」・・・心を休ませ、偉大な神さまの懐の中にすっぽりと入りこみましょう。「沈潜」(ちんせん)とは沈(しず)み潜(もぐ)るということですが、母親の膝の上に抱えられ絵本を読んでもらっている幼子のように、大きな大きな神さまの懐の中に自らを沈み込ませるのです。そこではもはやあなたを脅かすものは何もありません。その時、傍らにいてくださる神さまのご存在に気づかせてくださるのです。
 忙しい毎日ですが、神さまの内に沈潜する時間を大切にしましょう。


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