成長への祈り 11月号

愛する者たち。あなたがたを試みるためにあなたがたの間に燃えさかる火の試練を、何か思いがけないことが起こったかのように驚き怪しむことなく、むしろ、キリストの苦しみにあずかれるのですから、喜んでいなさい。それは、キリストの栄光が現われるときにも、喜びおどる者となるためです。

    第1ペテロ4章12~13節

 人生には試練があります。試練に出合うと「何か思いがけないことが起こったかのように」私たちは「驚き怪し」みます。なぜこんなことが起こるのか。何が悪かったのか。どうして自分なのか。などなど。しかし使徒ペテロは驚き怪しむのではなく「喜んでいなさい」と語りました。そうです。喜んでいればいいのです。
 ペテロは喜ぶべき二つの理由を語ります。一つは試練が「キリストの苦しみにあずかれる」ことだからです。もう一つは試練が「キリストの栄光が現れるときにも、喜びおどる者となる」という希望に向かっているからです。

◎キリストの苦しみにあずかれる

 罪人でしかない私が主イエスさまの十字架の苦しみにあずかれるのです。そのことは喜ぶべきことだといいます。神さまは私たちのことをよくご存じですから、耐えることのできない試練にあわせることはなさいません(第1コリント10章13節)。試練に出合う時、あなたならそれに耐えることのできるだろうと神さまが見ていてくださるのです。かつては罪の中に滅ぶものでしたが、試練に出合う時、主イエスさまのチームのレギュラーメンバーにして頂いているのです。なんと喜ばしいことでしょう。

◎キリストの栄光が現れるときにも

 「栄光が現れるとき」「喜びおどる者となる」。やがての勝利のときに「喜びおどる者」となるのは、苦しみの時を共に労した者の特権ではないでしょうか。主イエスさまの十字架の苦しみの何百分の一かもしれませんがその試練の時を主と共に歩んだ者だけが、やがての勝利のときに喜びおどることができるのです。その日を望みながら、日々迫りくる試練の中を喜びをもって歩みたいと思います。また試練の中にあるお互いのために祈りたいと思います。


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