成長への祈り 10月号

●何をするにも神の栄光

こういうわけで、あなたがたは、食べるにも、飲むにも、何をするにも、ただ神の栄光を現わすためにしなさい。

第1コリント10章31節

 

◎生きる目的

この手紙を書きました使徒パウロは、食べるにも、飲むにも、何をするにも神さまの栄光を現すためにせよと語りました。ここに神さまの造られた人間の生きる目的が書かれています。なぜ生きるのか、生きているのか、それは神さまの栄光、神さまの存在感を現すためであるというのです。

◎金太郎あめ的信仰生活

愛である神さま、聖い神さまのご存在が現されるために、私たちは飲食をしているでしょうか。私たちが食事をする姿を人々が見て「ああ神さまは愛なんだ」というメッセージが語られているでしょうか。お茶をいただきながら交わりを楽しみながら、その場にいる人が「ああ神さまは聖いお方なんだ」と感じているでしょうか。「どこを切っても金太郎飴」のように私たちの人生のどこを切り取っても「キリストの栄光」が現れているでしょうか。

◎究極の目的を見つめて

飲食の目的が栄養の補給という目的を持っているように私たちの行動にはさまざまな目的や目標があります。しかしパウロはさまざまな行動の目的は「神さまの栄光を表すため」であるといいます。飲食において栄養補給という目的がたとえ充分でなかったとしても神さまの栄光があらわされたならばそれで充分であるというのです。
教会行事も、人生の様々な取り組みもそれぞれに目的を持っています。その目的が果たされることもあればそうでないこともあります。しかしそれぞれの目的がたとえ不十分であったとしても、そこに神さまのご栄光があらわされ、神さまの愛、神さまの聖さがあらわされているならば大成功なのです。この究極の目的をいつも確かにしたいと思います。


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