〔宣教50年 スポット 18〕 信徒説教

宣教師は、救われ熱心に教会に通う信徒に、上手に奉仕を勧めました。事務会計、教会学校の教師、集会所の管理、集会の中での証しや司会、奏楽、信徒で説教をする様になった人も大勢いました。わたしが宣教師に、献身に導かれていることを打ち明けた時、早速、訓練にもなるからと月一回の礼拝説教をする様に言われました。洗礼を受けてから1年半にもなっていなかった19歳でした。その後その宣教師が帰国になり、もう一人の信徒の方と2人が交代で礼拝と祈祷会の説教を6ヵ月ほど続けました。毎週1回の説教だったわけです。それに山田先生の後を引き受けた毎週4ヵ所での子供の集会がありました。よくできたなあとも思いますが、救われたばかりの若僧の説教をよく聞いてくださったものだと感心します。そして次の年、神学校に入学したのです。でもその頃は、わたしだけではありません。あちこちの教会で、信徒の方が説教していました。確かにそれが重荷で教会を離れたと聞いたこともありますが、素晴しい訓練の時であり、恵みの時であったと思っています。神学校を目指す人の教会での奉仕は献身生涯に大きく影響し大切です。


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