〔宣教50年 スポット 16〕 宣教へのビジョン

日本に来られた宣教師は、殆どが20才代でした。当時は船でしたから、大抵1ヵ月以上はかかったのです。船旅の間にアコーデオンが弾けるようになったという宣教師もいました。彼等の宣教ビジョンは、4、5年で教会を独立させ、地元の教団等に委ね、滋賀県に幾つかの教会ができると次の県へと前進し日本中に・・。県下各地に宣教活動が展開されました。当初は、一つの教会の様に何処で集会が持たれてもできる限り応援に駆けつけ協力しました。五個荘の天幕集会に、日野から毎晩青年が応援に来てくださいました。大津の天幕集会に五個荘から応援に駆けつけ、トラクト配布や路傍案内もしました。特に青年達は良く活動しました。青年会活動といえばトラクト配布か路傍伝道、特伝の応援でした。4、5年で独立できた教会はありませんでしたが、17年目にしてやっと1つの教会が独立しました。それが八幡福音教会です(後に日本イエスキリスト教団に入りました)。その後4年目に世界福音伝道団が設立され、教会の群れとなったのです。年数は予定通りにはいきませんでしたが、ビジョンはこれからも実現に向かって進んでいます。


投稿日

カテゴリー:

,

コメント

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

CAPTCHA


このサイトはスパムを低減するために Akismet を使っています。コメントデータの処理方法の詳細はこちらをご覧ください

検索

カテゴリー

最近の投稿