続・牧会ずいそう<147> 喜びの信仰

 キリストを信じることは喜びでしょうか?中には信仰が義務のようであり、苦痛でさえある。信じて救われたことは感謝ですが・・信じ続けることは大変だ。厄介なものを持ってしまった。今更捨てられないし・・なんて思っている人がいたらお気の毒です!!信仰はその人の重荷になるものではなく、むしろ、重荷を取り除いてくれます。信仰の規則や、言い伝えを義務的に信じていると重荷になってしまい、人の思惑が気になります。私達は、「すべて疲れた人、重荷を負っている人は、私のところに来なさい。私があなたがたを休ませてあげます。」(マタイ11:28)と言われるキリストのもとに荷を降ろし、救われたのです。キリストがすべての罪を十字架の贖いによって赦してくださり、永遠の命を与え、神の子として下さった。イエスの名によって祈る祈りに応えてくださるのです。試練の中にあっても、「耐えることの出来ないような試練に合わせるようなことはなさいません。むしろ、耐えることの出来るように、試練とともに、脱出の道も備えてくださいます。」(一コリント10:13)このキリストを喜ぶ信仰に生きたいものです。


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