続・牧会ずいそう<136> 贖いの代価

 「買う」と言うのと「贖い」は違う。聖書は私たちはキリストによって贖われたと言う。「贖い」は単に買うのではなく,買い戻しである。自分のものであったものが人の手に渡ってしまっていたのをもう一度代価を払って買い戻すことだ。神はご自分がお造りになり,ご自分のものである人が罪に陥り,悪魔の手に陥っていたのを,その一人子キリストの血の代価によって買い戻してくださった。それが罪からの贖いだ。神は悪魔に代価を払われたのだろうか?悪魔の手からは奪い返せばいいのであって,代価など払わなくてもいいのではないか?神が代価を払われたのは悪魔へではない。律法への違反金なのだ。人は罪を犯し,神のみことばに背き,神の律法を破った。律法違反者となったのだ。律法は神が造られたものであり,聖いものだ。これを破り汚した者は裁かれ,違反者としての罰を受けねばならない。神は違反金なしに罪人を解放してご自身が律法破りをするわけにはいかない。「罪の支払う報酬は死である」その「死」の代価=律法破りの違反金を,キリストはご自分の命によって支払い,私たちを買い戻し,解放してくださったのだ。


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