続・牧会ずいそう<133> 本 物

 お寺の掲示板に「本物を知らないものは,偽物を本物と思っている」と書いてあった。本物にもいろいろあるようだ。その人が本物だと思い込んでいる本物=これは主観的だ。でも,その人にとっては本物であり満足しているのに,とやかく言いたくないが,それが本物でなければその人はだまされていたという事で、やがて恥をかく,とんでもない破滅を招く事もある。多くの人が本物と思い込んでいる本物=これは客観的だ。一般常識となっている。社会や国家が認めている本物。専門家が鑑定し保証している本物だ。最近「お宝鑑定」が人気を呼んでいる。そこで,よくも悪くも主観的本物が暴かれる。しかし,そのような鑑定士にも鑑定できない事実がある。この世の事についてもあるが,霊の世界の事,未来の事についての真実は何が本物なのか誰が鑑定するのか。しかし客観的な常識をも覆す,絶対的本物があるはずだ。聖書はその本物を信じるようにと私たちに伝えている。聖書がどうして絶対的本物を伝えていると言えるのか。聖書に書かれている預言成就もそうであるが,再臨の預言が実現する時,人々は聖書が言う本物を知る事になる。


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