〔私の宣教スケッチ 54〕 太秦への招き

ある日、太秦から教会役員のご夫妻が吉野に来られた。何の事かと応対すると、太秦の現状を話され、ラウンドヒル先生達が帰国されるので後任として太秦に来てほしいとの事。こんな形で招聘を受けるのは初めてなので戸惑った。吉野がやっと軌道に乗り出した時である。この誘いは誘惑なのか主の導きなのか?団体のリーダーの先生方に相談すべきか?教会の役員に話すのは勿論早すぎる。とにかく自分で祈って考え、ある程度の確信を得たい。丁度有馬でのケズウィック聖会の案内が来た。これに参加して静まり、祈りの時を持ちたいと思った。主の道がどこにあるのか。吉野に留まるべきか。太秦に行くべきか。集会中絶えずそのことが心から離れない。しかし、説教の中からも確信になるみことばは与えられなかった。期間中、特に設けられていた祈りの部屋に入り、朝早くから祈った。最終日の朝、手洗いに入った時、「私が道である」とのみことばが心に強く響いた。イスラエルの民にとっては、雲の柱火の柱が道であったが、今の私たちにとってキリスト御自身が道なのだ-ーと教えられた。


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