〔私の宣教スケッチ 43〕 溝のゴミ

吉野の教会は高台にある。大淀町の駅を降り車道に出ると、教会がよく見える。車道から教会に登る道は、当時は地道で狭く、雨が降ると土が掘れて水が流れていた。土手の一部には竹が茂っていたがその端にイチジク桑の木があった。木は大きくなり、桑の実がたくさん実った。この坂道を降りた。車道との境に溝があった。坂に沿って急な溝であったが、いつもゴミが溜まっていた。木切れや葉っぱだけではない。ビニール袋や、残飯。時には靴や器ものまであった。すなもたまっていた。時々掃除をしたが中々骨が折れる。ある掃除の途中激しい夕立ちが来た。掃除を中断して夕立ちの止むのを待って行って見ると、溝をとうとうと溢れる程の水が音をたてて流れ下っている。苦労して取り除こうとしていたゴミはみんな洗い流されていた。しばし唖然として見守ったが、聖霊の夕立ちが降り、リバイバルがおこると、人のなし得なかった事が神の力によって一息に成し遂げられるのだと知らされ感激した。


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