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●『愛と自由のことば』より(10)
「イエス・キリストの死において、神は、この世の神を冒す否を永遠にご自分で引き受けておしまいになったのである。そ…
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●『愛と自由のことば』より(9)
「自分の罪を告白することをわがこととせず、ただ自分の罪を理解し、説明ばかりしている人は、彼がどんなに知恵がある…
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●『愛と自由のことば』より(8)
「人間の世渡りは、たとえば水車の様なものである。・・・水車は下の方の一部を水に入れて、その流るるかたに従うて行…
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●『愛と自由のことば』より(7)
「聖書の言う真実は、深いけれども狭いものではなく、深くして大きなものである。倫理的な真実は、ともすれば人間を偏…
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●『愛と自由のことば』より(6)
「潔められるためには、われわれは、している仕事を変える必要はないのであり、平生自分のためにしていることを、今度…
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●『愛と自由のことば』より(5)
「頑は頑固であり、張りは自己主張であって、頑固に我意を張ることが頑張りである。しかるにキリストを信ずる者の性格…
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●『愛と自由のことば』より(4)
「ヨブの祈りの特徴は大胆で、率直で、友人に対する話のようである。儀式ばったところなく、すべてを打明けている。神…
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●『愛と自由のことば』より(3)
「理性の限界を誰にもましてよく知っているのは理性それ自身である。・・・理性は神の実在を確実に認識することが出来…
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●『愛と自由のことば』より(2)
「キリストを執えるのでなくて、彼に執えられるのである。・・・我らがキリストを執えるというところに重心がおかれて…
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●『愛と自由のことば』より(1)
「人間は神の御顔をまず凝視し、その次にこれを直視することから自己自身を検討することへとくだって来るのでなければ…