「凡そ医師の治療を受けんと欲する者は、其命ずる所を守らざるべからず。然らずんば術施すべからずして、病者癒ゆる能はざるなり。基督の我が為に術を施さるるや、助手をして命を伝へしむ。曰く静かなれと。故に我れ能く静を守れば、耳は新を得て聞くべきなり。我能く静を守れば、目は新を得て見るべきなり。乃ち霊境茲に開けて、聖言我に通ずるを致すべきなり。」
新井奥邃、『聖言』、206
「一般的に医師から治療を受けたいと願う者は、医師が命じることを守らなければならない。そうしないならば処置が施されず、病人は癒されることがない。キリストが私の為に処置を施してくださることとは、助け手によって命を伝えてくださることである。その語るところは「静かにしなさい」と。ゆえに私がよく静を守るならば、耳は新しさを得ていくことができる。私がよく静を守るならば、目は新しさを得て見ることができる。すなわち霊的な世界への扉が開かれて、聖書の言葉が私に深く響いてくるようになる。」
静かに聖書の言葉を思いめぐらしましょう。そのような時間を大切にしましょう。
私たちは人生の何たるかを何も知らずにいきなりこの人生をはじめることになりました。まるで泳ぎを知らずにいきなりプールに投げ込まれたように。より良く生きるためには、人生を学ばなければなりません。神さまの存在を知らなかったときは、ひたすら手探りで、やみくもに歩むしかありませんでした。しかし神さまとお出会いしたいま、神さまを主として、その語られるところ、すなわち聖書の言葉により頼んで歩む者となりました。
神さまの言葉は静かにしていないと聞き取れません。それは神さまの言葉が小さいからではありません。この世の雑音があまりにも大きいのです。ですからこの世の雑音から離れて静かにする時間が必要です。静かにして神さまのことばを聞き分けて歩むならば、確かな人生を歩むことができます。
〔聖書の個所〕
私は昔の日々を思い出し、あなたのなさったすべてのことに思いを巡らし、あなたの御手のわざを静かに考えています。・・・朝にあなたの恵みを聞かせてください。私はあなたに信頼していますから。私に行くべき道を知らせてください。私のたましいはあなたを仰いでいますから。
(詩篇143編5節、8節)