カテゴリー: 新井奥邃

  • 「神に事へて人を愛するに非ざれば、決して己の慾怒を除く能はず。」

    「神に事へて人を愛するに非ざれば、決して己の慾怒を除く能はず。」

    新井奥邃、『聖言』、6

    「神さまに向かって事をなそうとして隣人を愛そうとするのでないならば、決して自分自身の中から怒りや欲望を除くことは出来ない。」

    人間は隣人を愛そうとする中でも罪を犯してしまいます。人間は怒りや欲望から隣人を愛そうとしたり、怒りや欲望によって隣人への善をなそうとしてしまうのです。それはまことの愛や善ではありません。神さま抜きの隣人愛は、結局そのうちには怒りや欲望が渦巻いているのですから、良いものを生み出すことはないでしょう。
    つねに神さまに向かって、神さまを愛することによって、さらには神さまのお力によって、隣人を愛すること。そうするならば、怒りと欲望にまみれた人生から脱出し、真に隣人愛に生きることができるでしょう。

    〔聖書の個所〕

    律法学者がひとり来て、その議論を聞いていたが、イエスがみごとに答えられたのを知って、イエスに尋ねた。「すべての命令の中で、どれが一番たいせつですか。」イエスは答えられた。「一番たいせつなのはこれです。『イスラエルよ。聞け。われらの神である主は、唯一の主である。心を尽くし、思いを尽くし、知性を尽くし、力を尽くして、あなたの神である主を愛せよ。』次にはこれです。『あなたの隣人をあなた自身のように愛せよ。』この二つより大事な命令は、ほかにありません。」
    (マルコ12章28~31節)

    律法の全体は、「あなたの隣人をあなた自身のように愛せよ。」という一語をもって全うされるのです。
    (ガラテヤ5章14節)

    もし、ほんとうにあなたがたが、聖書に従って、「あなたの隣人をあなた自身のように愛せよ。」という最高の律法を守るなら、あなたがたの行ないはりっぱです。
    (ヤコブ2章8節)