カテゴリー: 新井奥邃

  • 「夫れ実体ありて活権あり。活権は真人の掌中に集まる。真人は実体の神なればなり。此の権や真人の掌中より宇宙に達す。実体なる宇宙は真人の活権を以て実体に開新す。開新は無体にして成らず。実体なる活権の行動を以て永遠に相進む。」

    「夫れ実体ありて活権あり。活権は真人の掌中に集まる。真人は実体の神なればなり。此の権や真人の掌中より宇宙に達す。実体なる宇宙は真人の活権を以て実体に開新す。開新は無体にして成らず。実体なる活権の行動を以て永遠に相進む。」

    新井奥邃、『聖言』、209

    「実体があるので生きている権威が存在している。生きている権威はまことの人の手の中に集まる。まことの人とは実体の神ご自身である。この権威は、まことの人の手の中から世界に到達する。実体である宇宙はまことの人の生きている権威によって、実体として新しく開く。新しく開くことはからだなくしては成り立たない。実体である生きた権威は行動をもって永遠にむかって共に前進する。」

     まことの人、真人とはイエス・キリストご自身のことでしょう。神とは目に見えない霊的な存在です。しかしその目に見えない神が、目に見える人となられたのがイエス・キリストです。イエス・キリストはまことの神であり、同時にまことの人なのです。
     まことの神でありまことの人であるイエス・キリストによって、この世界において、神さまのみ心が実現し前進します。人となられたイエス・キリストなくしては成り立たないのです。
     クリスマスを迎えようとしています。神が人となられた奇跡を今年も全世界がお祝いします。

     「実体」とは、ウーシア、サブスタンスのことでしょうか。そうだとすれば広辞苑によると、変化する様態の根底にある持続的な担い手と考えられるもの、ということです。

    〔聖書の個所〕

    キリストは、神の御姿であられる方なのに、神のあり方を捨てることができないとは考えないで、ご自分を無にして、仕える者の姿をとり、人間と同じようになられたのです。
    (ピリピ2章6、7節)