「我若し能く良心に醒めて神怒に感ずるの福を得ば、我が怒乃ち以て除くべきなり。我若し能く良知に開けて神愛を体するの慶を得ば、我が慾乃ち以て去るべきなり。」
新井奥邃、『聖言』、33
「もし善悪を知るために神さまの怒りを感じるといった幸福を得たいならば、自分自身の中にある怒りをただちに取り除かなければならない。もし生れながらの道徳智に開眼するために神さまの愛を体得するといった幸福を得たいならば、自分自身の中にある欲望をただちに去らせなければならない。」
何が善で、何が悪かを知り、善を求め、悪を退けることは、神さまの怒りを知ることによってできることです。そのためには、まず自分自身の中の怒りを取り除かなければなりません。義憤ということがありますが、これも取り除かなければならないと思います。そうして神さまのお心を求めていくところに、真実の良心が生まれるのです。
また道徳的な価値観を豊かにするために、神さまの愛を体験しなければなりません。そのためには、自分自身の中の欲望を取り除かなければなりません。欲望によってではなく、神さまの愛によってこそ確かな道徳的な生き方を知ることができます。
〔聖書の個所〕
怒りをおそくする者は勇士にまさり、自分の心を治める者は町を攻め取る者にまさる。
(箴言16章32節)
おのれを閉ざす者は自分の欲望のままに求め、すべてのすぐれた知性と仲たがいする。愚かな者は英知を喜ばない。ただ自分の意見だけを表わす。
(箴言18章1~2節)
従順な子どもとなり、以前あなたがたが無知であったときのさまざまな欲望に従わず、あなたがたを召してくださった聖なる方にならって、あなたがた自身も、あらゆる行ないにおいて聖なるものとされなさい。
(第1ペテロ1章14~15節)