カテゴリー: 新井奥邃

  • 「此の世は泥濘(でいねい)の海にして、憐れむべきは少年の徒なり。立たんとするに地なく、行かんとするに道なく、汚泥に陥没するを免かれず。而して終に元盗老賊の根性に賊化せらるる者滔々たり。照々の中に非ざれば、冥々の中に於て皆賊化せらるるなり。」

    「此の世は泥濘(でいねい)の海にして、憐れむべきは少年の徒なり。立たんとするに地なく、行かんとするに道なく、汚泥に陥没するを免かれず。而して終に元盗老賊の根性に賊化せらるる者滔々たり。照々の中に非ざれば、冥々の中に於て皆賊化せらるるなり。」

    新井奥邃、『聖言』、214

    「この世はぬかるみの海であり、あわれむべきは少年たちである。立とうとしても立つことの出来る地がなく、前進しようとしても歩むべき道がないので、汚れた泥の中に落ち込んでしまうことから免れない。その結果、最終的には盗賊のような根性になってしまう者がこの世には溢れている。照り輝く光の中にいないならば、暗やみの中にあって皆盗賊のような根性なってしまう。」

     人生は気がついたら始まっています。だれも人生の生き方を教えてくれないままに始まっています。しかし人間には人生を歩むすべを、最初からは持ち合わせていません。ですから人生は学びと修練です。
     この世界はそのような私たちをしっかりと支えるものを持っているのか。「この世は泥濘の海である」と新井は語ります。しっかりとした土台がないのです。ですから土台を築かなければならないのですが、人間にはその力も知恵もありません。
     聖書は、その土台が神さまである、聖書である、と語ります。神さまという土台、そして聖書という土台をしっかりと確認し、そのうえに人生を建てましょう。そうでなければ、人間としての歩みが成り立たないのです。

    〔聖書の個所〕

    だから、わたしのこれらのことばを聞いてそれを行なう者はみな、岩の上に自分の家を建てた賢い人に比べることができます。雨が降って洪水が押し寄せ、風が吹いてその家に打ちつけたが、それでも倒れませんでした。岩の上に建てられていたからです。
    (マタイ7章24~25節)