カテゴリー: 新井奥邃

  • 「十人を以て二十人の事を為すは同志一体となれば難きにあらず。然れども離散すれば能くすべからず。十人を以て百人の業を成すも、無我にして合すれば、亦易々たるのみ。只難き所は、その除我に在るなり。」

    「十人を以て二十人の事を為すは同志一体となれば難きにあらず。然れども離散すれば能くすべからず。十人を以て百人の業を成すも、無我にして合すれば、亦易々たるのみ。只難き所は、その除我に在るなり。」

    新井奥邃、『聖言』、115

    「10人で20人分の仕事をなすことは、志を同じにする者が一体となるならば難しいことではない。しかしバラバラであるならばできることもできない。10人で百人分の業を成すことも、我をなくして協力するならば、また簡単なことである。ただ難しいところは、その我を除くことにある。」

     人間の力は、単純な足し算ではなく、協力があれば掛け算になり、協力がないならば、引き算や割り算になってしまうものです。
     協力をする、心を一つにするということは簡単なことではありません。我欲を取り除かなければなりません。それが難しいのです。しかしそれができるならば、驚くべき掛け算的力が生まれます。
     人間は皆自己中心です。聖書はそれが罪であるといいます。その罪はどこから生れるのか。それは神さまを中心にしないことから生れると聖書は語ります。罪とは「的外れ」という意味を持っています。神さまという中心をたがえてしまった的外れが、さまざまな具体的な罪を生み出すのです。
     その罪から自由になること、すなわち我欲を棄てることは、神さまを中心とするところに生れてきます。

    〔聖書の個所〕

    もし一つの部分が苦しめば、すべての部分がともに苦しみ、もし一つの部分が尊ばれれば、すべての部分がともに喜ぶのです。あなたがたはキリストのからだであって、ひとりひとりは各器官なのです。
    (第1コリント12章26~27節)

    こういうわけですから、もしキリストにあって励ましがあり、愛の慰めがあり、御霊の交わりがあり、愛情とあわれみがあるなら、私の喜びが満たされるように、あなたがたは一致を保ち、同じ愛の心を持ち、心を合わせ、志を一つにしてください。何事でも自己中心や虚栄からすることなく、へりくだって、互いに人を自分よりもすぐれた者と思いなさい。自分のことだけではなく、他の人のことも顧みなさい。
    (ピリピ2章1~4節)