カテゴリー: 新井奥邃

  • 「凡そ基督の神たるを認めざる者は、実際に於て無神論者なり。神は実際に由りてのみ人に知らるべければなり。」

    「凡そ基督の神たるを認めざる者は、実際に於て無神論者なり。神は実際に由りてのみ人に知らるべければなり。」

    新井奥邃、『聖言』、117

    「おしなべてキリストが神であるということを認めない者は、実際において無神論者である。神は想像や理論ではなく事実においてのみ、人に知られるのだ。」

     目に見えない神を知るということを、自分の想像や経験から積み上げていこうとすると、真実の神を見出すことは難しいでしょう。なぜなら人間は罪人なので、自分好みの神を造ってしまい、結局それは偶像となるからです。ただ神さまからの啓示によってのみ人間は、神を知ることができるのです。その啓示こそ、イエス・キリストです。ですから神を知ろうとするならば、その啓示であるイエス・キリストを知るということによってできるのです。
     その場合、イエス・キリストご自身を神と認めなければなりません。神の言であるお方イエス・キリストを知り学ぶこと、すなわち聖書の言葉を学ぶことによってのみ、神さまを知り神さまにお出会いするということが実現します。

    〔聖書の個所〕

    イエスは彼に言われた。「わたしが道であり、真理であり、いのちなのです。わたしを通してでなければ、だれひとり父のみもとに来ることはありません。
    (ヨハネ14章6節)

    だれも神を見た者はありません。ただ神から出た者、すなわち、この者だけが、父を見たのです。
    (ヨハネ6章46節)