投稿者: 塩辛と お茶漬け

  • 彼はそこで祈っています

    静まりの時

    • テーマ:回心
    • 聖書箇所:使徒9・10~22
    • 日付:2026年08月03日(月)

    10 さて、ダマスコにアナニアという名の弟子がいた。主が幻の中で「アナニアよ」と言われたので、彼は「主よ、ここにおります」と答えた。
    11 すると、主はこう言われた。「立って、『まっすぐ』と呼ばれる通りに行き、ユダの家にいるサウロという名のタルソ人を訪ねなさい。彼はそこで祈っています。
    12 彼は幻の中で、アナニアという名の人が入って来て、自分の上に手を置き、再び見えるようにしてくれるのを見たのです。」

    ダマスコに住むアナニア。主を信じる者としてダマスコに住んでいた、ということは、サウロ(パウロ)の迫害の対象者でした。そのアナニアに、主は幻に現れ、こともあろうにサウロを訪問せよ、と言われました。

    アナニアはサウロについての情報を得ていますので、その申し出を断ろうとします。しかし主はアナニアに、サウロについてのご自身の計画をお話しになられました。神さまが何をなそうとしておられるのか、どんなご計画をお持ちになっておられるのか。その新しい情報がアナニアを動かしました。そうしてサウロの新しい人生が始まることになります。

    主がサウロの紹介として最初にアナニアに語られたことばは「彼はそこで祈っています」でした。

    誰かを紹介するときに私たちはその人のどのようなことを伝えるのか。

    サウロの場合、さまざまに紹介することが可能だったと思います。すでにアナニアが知っているように、迫害のためにダマスコに向かっていたサウロ、と紹介することもできたと思います。しかし主は「彼はそこで祈っています」とサウロを紹介されました。もしかすると人間の紹介としてはこの一文で十分なのかもしれません。

    また主は重ねて不思議なことを言われました。「彼は幻の中で、アナニアという名の人が入って来て、自分の上に手を置き、再び見えるようにしてくれるのを見たのです。」

    アナニヤが了解する前に、すでに主は、アナニアを遣わすことの幻をサウロに見せておられた、つまり、アナニアを遣わすことをサウロに伝えておられた、というのです。アナニアとしては、そんな勝手なことを、と言いたいところかもしれませんが、愛と義の神さまのなさることですので、それが最善に違いありません。

    しかしそれでももしアナニアが固辞したならば、神さまはどうなさったのだろうか。

    私はここにアナニアに対する主の信頼度の大きさ、確かさを感じます。アナニアなら、あのサウロのところにも行ってくれるに違いない。ダマスコには多くの主の弟子、すなわちキリスト者がいたはずなのですが、その中でアナニアを主はお選びになられました。そしてアナニアならば、「彼はそこで祈っています」ということばで、十分通じるはずだ、と主は信じておられたのだと思います。

    主を信じることは大切ですが、主に信じていただける者であるのは、なんと素敵なことだろうか、と思います。