いつも信仰なしに神に喜ばれようとする―それが私たちの敬虔な苦悩であり、敬虔な罪である。
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それ自身は善いものである敬虔が、信仰の代表品となるや否やーまた私が敬虔の中に自分の救いを見出して、ただ信仰に中にだけ救いを見出さなくなるや否や、敬虔は悪魔からのものとなり得る。
リュティ、『この日言葉をかの日に伝え』、322頁
ヘブル人への手紙11章6節
2012年10月03日(日)
信仰がなければ神さまに喜ばれることはできない、このことをとにかく信仰が必要なんだというようにだけ理解していましたが、それはいろいろなことで神さまを喜ばせてようとしているが、そのいろいろなものに信仰を付け加えるというようにどこかで考えていたように思います。
このリュティの言葉は、私たち罪びとは信仰以外のもの、ここでは敬虔ですが、それによって神さまに喜ばれようとしていると指摘します。
信仰以外のもので神さまを喜ばせようとしてはいけないのです。それは平安のない人生の始まりです。信仰のみによって神さまを喜ばせようとすることが、まことの平安な人生の始まりです。