〔使者〕
2014年5月2日(金)
「人々に注意しなさい。」(マタイ10:17~22から)
弟子たちは、「神の言葉」の「人間」に対する正しい関係、「人間」の「神の言葉」に対する正しい関係についての知識を、はっきりと持つべきなのである。ここで弟子たちがさめているならば、イエスが前もって、<あなたがたが、人間の間で歩む道は、苦難の道である>と語る時にも、それに耐えることができるであろう。弟子たちの苦難は、驚くべき力のもとに置かれているのである。
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弟子たちが苦難の中で神の言葉のもとにとどまるからこそ、神の言葉もまた彼らのもとにとどまるのである。
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終わりまでイエスと、イエスの言葉のもとにとどまり続ける者だけが、さいわいな者と呼ばれるであろう。ボンヘッファー、『主のよき力に守られて~ボンヘッファー1日1章~
村椿嘉信・訳、新教出版社、1986年6月30日発行、218頁ff。
イエスさまを信じる者は聖書のみ言葉を学ぶ者であり、聖書のみ言葉にとどまり続ける者です。聖書のみ言葉にとどまり続けないキリスト者というのはあり得ませんし、それはすでにキリスト者ではありません。聖書の言葉にとどまり続けたいと思います。
聖書の言葉にとどまり続ける弟子は、人間に対する正しい知識をいただきます。それは、いたずらに人間を否定することでも、いたずらに肯定することでもありません。ただ聖書の言葉との関係について、さめた目で見ることができるということです。
どんなに立派な人物でも、聖書の言葉との関係はどうか。どんなに立派でない人物でも、聖書の言葉との関係はどうか。そういうことをさめた目で、冷静な目で見ることができるのです。
そしてその点において他者を理解し、他者へ幸いな道を語るのです。
(祈り)
神さま、常にみ言葉を語らせてください。