〔主の道を備えよ〕
2014年12月12日(金)
道が平らにされ、さまざまな障害が取り除かれたとしても、それだけで自動的に、「恵み」が到来するわけではない。キリストの「恵み」が到来するためには、キリストみずからが「青銅のとびらをこわし、鉄のかんぬきを断ち切ら」(詩篇107:16)なければならないのである。
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しかしそうだからと言って、「恵み」の到来のために道備えをする必要がないとか、「恵み」の到来を妨げたり困難にするものを除去する必要がないというわけではない。
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われわれは、道備えという課題を免れることができない。
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飢えている者にパンを与えることは、「恵み」の到来のための道備えに他ならないのである。ボンヘッファー、『主のよき力に守られて~ボンヘッファー1日1章~』
村椿嘉信・訳、新教出版社、1986年6月30日発行、610ff。
救いはイエスさまによってのみもたらされるものです。
しかしイエスさまにお出会いするための道備えを、私たちはしなければなりません。
私たちは罪人なので、道備えをしているつもりでも、平らな道ではなくでこぼこ道であったり、道とは言えないようなものであったりします。
イエスさまに清めていただいて、平らな道を備える者でありたいと思います。
(祈り)
神さま、人々があなたの救いを得ることができるように、その道備えをなさせてください。どうか平らな道を備えることができる者に造り変えてください。
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