〔もし愛がなければ〕
2014年7月7日(月)
第1コリント13章1~3節。
<一人の人間の生涯が意味と価値をもつのは、この生涯の中に愛がある場合だけであり、もしも愛がないならその生涯は空しく、空虚で、意味も価値もなくなる>ということである。その他のことはすべてどうでもよい。
・・・
愛のあるとこでは、生の意味はすべて満たされる。このような愛を前にする時に、ほかのあらゆることは、重要でなくなる。人間が愛に生きる時、「仕合せ」とか「不仕合せ」というものは何であろうか。「貧しさ」や「富」「名誉」や「恥」、「故郷」や「異教」、「生」や「死」は何であろうか。愛に生きる人は、これらについて何も知らない。それらの間に区別を設けない。愛に生きる人の知っていることは、むしろ、「仕合せ」は「不仕合せ」と同じように、「貧しさ」は「富」と同じように、「名誉」は「恥」と同じように、「故郷」は「異教」と同じように、「生」は「死」と同じように、ただ「愛する」ということをますます力強くし、ますます純粋にし、ますます完全にするために役立つということだけである。ボンヘッファー、『主のよき力に守られて~ボンヘッファー1日1章~』
村椿嘉信・訳、新教出版社、1986年6月30日発行、335頁ff。
あらゆる言動の中に愛があるかどうか。それだけが大切なことなのです。
人間の罪は、愛のない言動に生きてしまうということです。愛がないことは、あらゆる状況の中にあって的外れなのです。
大胆に言うとすれば、愛さえあれば、その他のことはどうでもよいのです。
(祈り)
神さま、私の言動の中に愛があるかないか、どうか教えてください。
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