獄中でのペンテコステ

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〔われわれはその人といっしょに住むであろう〕

2014年5月26日(月)

バベルの塔を建てたことによって、人間はそれぞれ自分ひとりにしか通用しない言葉を語ることになり、人々はもはやお互いを理解することができなくなりました。この混乱は、ただ、それぞれの人が、自分に理解できる言葉によって、しかもまた、お互いに理解し合うことを可能にさせる言葉によって、すなわち神の言葉によってのみ解消され、克服されるべきです。そして教会とは、まさにこの言葉が聞かれ、語られる場所なのだということを考えました。

ボンヘッファー、『主のよき力に守られて~ボンヘッファー1日1章~』
村椿嘉信・訳、新教出版社、1986年6月30日発行、259頁f。

使徒2章に書かれているペンテコステの出来事は、バベルの塔の克服であるということでしょう。教会がバベルの塔の克服であるとすれば、そこには言葉の調和があるはずです。
調和をもった言葉は聖書のみ言葉であり、イエスさまご自身です。
私たちは教会に行き、礼拝をささげ、言葉の調和を回復していただきます。

(祈り)
神さま、混乱に満ちた言葉に調和を与えてください。み言葉を学ばせてください。

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