〔わが魂はあなたを慕いあえぐ〕
2014年5月17日(土)
「人々がわたしにむかって『おまえの神はどこにいるのか』と一日中言いつづける間、昼も夜も私の涙がわたしの食物であった。」(詩篇42:3)
「おまえの神はどこにいるのか」。-このように、人々は不安をいだいたり、疑ったり、あるいはあざけったりしながら問う。・・・
しかしわれわれは、見ることのできない神を兄弟たちに証明できないために流す「涙」を、恥じる必要はない。この涙は、神のために流されているのであり、神によって「たくわえられている」(詩篇56:8)のである。「おまえの神はどこにいるのか」。-この問いに、生と、死と、よみがえりによって「神のまことの子」として自分を証しする方であるイエス・キリストを指し示す以外に、どう答えることができるのであろうか。イエス・キリストは、「死」におけるわれわれの「生」、「罪」におけるわれわれの「赦し」、「困窮」におけるわれわれの「助け」、「戦争」におけるわれわれの「平和」である。ボンヘッファー、『主のよき力に守られて~ボンヘッファー1日1章~』
村椿嘉信・訳、新教出版社、1986年6月30日発行、246頁f。
神さまは目に見えないお方です。その目に見えないお方が、唯一目に見えるお方としてこの地に来てくださったのがイエスさまです。私たちはいつもイエスさまを指し示します。
イエスさまこそ、生、赦し、助け、平和、です。イエスさまにこのすべてがあります。イエスさまこそ福音です。
(祈り)
神さま、イエスさまをいつも見上げることができますように。
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