〔良い羊飼い〕
2014年4月23日(水)
「わたしは自分の羊を知り、わたしの羊も、わたしを知っている。」(ヨハネ10:14~15から)
イエスが自分について語っていることは、「わたしは、良い羊飼いである」ということであったが〔4月21日の箇所を参照のこと〕、それに対して、第二のことは、「わたしは、自分の羊を知っている」ということである。これは、どうでもよいことのように思われるかもしれないが、本当は、とても重要なことである。
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「イエスに知られる」ということは、われわれが「さいわいな者とさせられる」、あるいは「イエスとの交わりに入れられる」ということを意味するのである。
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キリストを知るとは、われわれのための、またわれわれにかかわるキリストの意志を知り、その意思を行なうということである。すなわち、神を愛し、兄弟を愛するということである。「子」〔子なる神〕を「子」として知るのが、父〔父なる神、以下同様〕の喜びである。また、「父」を「父」として知るのが、子の喜びである。この交互の認識が、愛と交わりである。それと同じように、「罪人」を「自分に属することになった者」として知ることが、救い主の喜びである。また、「イエス」を「みずからの救い主」として知ることが、罪人の喜びである。イエスが父と、そして自分に属する者とを、このような愛と相互認識の交わりにおいて結ばれているからこそ、良い羊飼いは、羊のために自分の命を捨て、その群れを永遠に自分のものとすることができるのである。ボンヘッファー、『主のよき力に守られて~ボンヘッファー1日1章~
村椿嘉信・訳、新教出版社、1986年6月30日発行、202頁ff。
「知る」ということ。そしてそれは一方通行ではなく「交互の認識」「相互認識の交わり」ということ。ここに愛があり、喜びがあります。
神さまは私たちのことを知っていてくださいます。また神さまが私たちのことを知っていて下さるということを深く学ぶために、神さまのことを学びます。神さまのことを知れば知るほど、学べば学ぶほどに、神さまが如何に私を知っていて下さるかということがわかってきます。
神さまを知るということは、神さまを愛し、兄弟を愛するということ、そのものです。
神さまとの相互関係、兄弟との相互関係。
兄弟を愛するということにおいても一方通行ではありません。お互いに愛を傾けることによって喜びが確かなものとなります。もし喜びが確かなものとなっていないとすれば、相互関係が成り立っていないからかもしれません。
相互関係とは、お互いの距離が良好な時に生まれる健やかな関係でしょう。それは神さまを知ることによって可能な関係でしょう。
(祈り)
神さま、神さまを知り、そうして兄弟姉妹を知る関係の中に生かしていてくださることを感謝します。相互に、良い距離を見いだすことができるようにあらゆる関係の中にあなたがいてくださり、祝福してください。
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