このたとえ話はひとりの人のことを語っている

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〔良い羊飼い〕

2014年4月21日(月)

イエス・キリストの教会に置かれている「牧師」という職務は、本当の良い羊飼いに続く第二、第三の羊飼いのためにあるのではない。むしろそれは、イエスのみを、キリスト者の共同体の良い羊飼いたらしめようとするためのものなのである。イエスは「大牧者」である(第1ペテロ5:4)。教会の「牧師」は、このイエスの唯一の職務にあずかるのであって、もしそうでなければ、その職務と群れとをだめにしてしまうであろう。

ボンヘッファー、『主のよき力に守られて~ボンヘッファー1日1章~
村椿嘉信・訳、新教出版社、1986年6月30日発行、198頁ff。

牧師の務めは、自分が第2のキリストになることではない、とボンヘッファーは語ります。キリストご自身が良い牧者であることを指し示すことが、牧師の務めなのです。

牧師が、イエスさまに代わって人々のために命を捨てているか、イエスさまに代わって人々のために生きているか、イエスさまに代わって人々に益を与えているか、などと言うことを牧会や宣教としているならば、牧師本来の職務をだめにし、また教会を、群れを、そして人々をだめにしてしまうのです。

イエスさまだけが、良い羊飼いであることを語り続け、指し示し続けなければなりません。

(祈り)
神さま、あなたこそよい羊飼いです。あなただけがよい羊飼いであることを語り続け、指し示し続けることができるように、あらゆる誘惑に勝たせてください。

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