他者が救いの言葉をもたらす

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〔恵みとしての交わり〕

2014年4月16日(水)

キリスト者とは、自分の救いと解放と義とを、自分自身の中に求めようとはせず、ただイエス・キリストにのみ求めようとする人間である。
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自分自身においては、彼は貧しく、死んだものであり、助けは外から来なければならないのである。
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神は、この言葉を人間の口に入れ、それがさらに人々の間に語り伝えられるようにした。
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キリスト者は、「救いの言葉を持ち運ぶ者」として、お互いに出会う。

ボンヘッファー、『主のよき力に守られて~ボンヘッファー1日1章~
村椿嘉信・訳、新教出版社、1986年6月30日発行、191頁f。

聖書の語る救いの言葉、助けの言葉は、「外」からやって来なければならない、とボンヘッファーは語ります。自分の「内」、すなわち、自分の経験、知識、あるいはもって生まれたもの、そういう自分の内からふつふつとわいてくるものの中に救いはないのです。
外からの言葉に耳を傾け心を開くことが救いにはどうしても必要なのです。外からの言葉に耳を傾けられるかどうかが、信仰の祝福、また人生の祝福の鍵です。
外から語られる言葉は、具体的には、神さまは兄弟姉妹を通して語られるようにされました。キリスト者の交わりの目的は、神さまの救いの言葉を持ち運ぶこと、にあるとボンヘッファーは語ります。ですから私たちは兄弟姉妹との交わりにおいて、神さまの言葉を語り、また聞きます。

(祈り)
神さま、兄弟姉妹との交わりの中に神さまの言葉を聞くことができるように、私の心を柔らかくしてください。また開いてください。

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