喜びの源泉としての共同体

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〔恵みとしての交わり〕

2014年4月15日(火)

信仰者にとって、他のキリスト者が、「からだ」を持って自分と共にいるということは、つきることのない喜びと励ましの源泉である。
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囚人や、病人や、離散のキリスト者は、キリスト者である兄弟がそばに実際にいてくれるということだけで、三位一体の神がそこにいるという恵みを見いだす。
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神の国の到来の時まで、他のキリスト者と、キリスト者としての交わりの生活を送ることを許された者は、心の底から神の恵みをほめたたえるべきである。

ボンヘッファー、『主のよき力に守られて~ボンヘッファー1日1章~
村椿嘉信・訳、新教出版社、1986年6月30日発行、190頁f。

キリスト者の交わりは、「からだ」を持っての交わりである、とボンヘッファーは語ります。
キリスト者の交わりは、霊的な交わりではありますが、それは精神的な、抽象的なものではなく、からだをもった具体的な交わりである、ということでしょう。からだを運んで、実際的な時間を共有することであり、お茶を飲みながら、時に食卓を囲んでの交わりということです。
そのような交わりによって、三位一体の神さまが共にいて下さるということを学び、また味わうのです。
兄弟姉妹の交わりを喜び、また神さまに感謝する者でありたいと思います。

(祈り)
神さま、抽象的でない、具体的な交わりの中に送り出してくださることを感謝します。

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