「しかし、神が光の中におられるように、わたしたちが光の中を歩むなら、互いに交わりを持ち、御子イエスの血によってあらゆる罪から清められます。」
ヨハネの手紙第1、1章7節
2013年12月19日(木)『心を新たに』~ウェスレーによる一日一生~
(編)A.ルシー、(訳)坂本誠
376頁
神さまは光の中におられます。そのように、私たちが光の中を歩むこと。神さまが光の中におられるので私たちが自動的に光の中を歩むことができるのかといえば、そうではないといっているようです。私たちが光の中を歩む、という選択をしなければならないということでしょう。神さまを信じているのにも関わらず、相変わらず光の中を歩もうとしない、神さまと共に歩もうとしないということが人間にはできてしまうのです。なんと恐ろしいことでしょうか。
ですから、今日も信仰もって神さまと共に歩もう、光の中を歩もうと決心しなければなりません。
そうしない限り、私たちが光の中を歩むことはないのです。
もちろん神さまは世の終りまで共にいて下さいます。問題は神さまが共にいて下さるのにも関わらず、まるでともにおられないかのように、神さまと別の方向を見て、神さまにそっぽを向いて、生きてしまうということでしょう。
神さまと共に歩む選択をするならば「互いに交わりを持つ」とヨハネは語ります。互いとはいったい誰でしょうか。神さまと私たちかもしれません。しかしキリストのなるお互い、さらには隣人たちとの関係を語っているのかもしれません。神さまと共にいるという選択が、人間同士の関係を豊かにしていくのです。
そうして「御子イエスの血によってあらゆる罪から清められる」といいます。十字架の赦しのメッセージが現実のものとなるというのでしょう。
罪の赦しが、机上のことではなく、私たちの現実の生活の節々に至るまで及んでいくのです。
神さまと共に歩むという信仰の決断が、豊かな人間関係と、健やかな人生をもたらすのです。
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