主人は罪深い性質から自由にされるがゆえに、主の弟子たちも真実のキリスト者も自由にされるのです。
コリントの信徒への手紙第2、10章5節
2013年12月16日(月)『心を新たに』~ウェスレーによる一日一生~
(編)A.ルシー、(訳)坂本誠
373頁
「自由にされる」。この「される」は受け身の言葉ではなく、敬語ということでしょうか。
イエスさまが私たちを自由にしてくださるので、イエスさまの弟子たちは自由にしていただけるのです。
私たちの力が強いので、私たちが罪から自由になれるのではなく、イエスさまがお強いお方なので、そのイエスさまを主人とする私たちは、自由にしていただけるのです。
罪深い性質が私の人生を暗く悲しいものにしているのですから、その罪深い性質から自由にしていただけるということは、なんと素晴らしいことでしょうか。
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