神が語ってくださることは何でも、人が聞こうが聞くまいが、語るのです。
マタイによる福音書5章48節
2013年11月23日(土)『心を新たに』~ウェスレーによる一日一生~
(編)A.ルシー、(訳)坂本誠
348頁
イエスさまは、天の父が完全であるように、あなたがたも完全でありなさい、と弟子たちに語られました。完全。ウェズリーは「聖書の中の言葉で完全であるという言葉よりも攻撃的な言葉は見当たらない」と語ります。
完全。確かに自己中心の罪の中にしか生きることできない人間にとって攻撃的な、あるいは挑戦的な言葉です。完全になれる人間などどこにもいません。人間はみな不完全です。しかしその不完全な人間に完全になりなさいと、聖書の神さまは語られるのです。
これはもう人間わざでは不可能です。神わざでないとできないことです。どうしても信仰が必要です。
では完全とはなんであるのか。どのような状態であるのか。
聖書に登場するパリサイ人たちは、ある意味で完全を求めた人たちでしょう。しかしイエスさまの語られた完全はパリサイ人たちの言う完全とはずいぶん違うようです。
愛における完全。これがイエスさまが語られた完全ではないでしょうか。神さまの愛による完全。そしてそれが自分自身への愛の完全、隣人への愛の完全。おおよそ愛がないならば不完全なのです。
愛があれば、そこに完全が生まれます。
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