サムエルは、民のすべてのことばを聞いて、それを主の耳に入れた

静まりの時

  • テーマ:この世と神の国
  • 聖書箇所:第一サムエル8・19~22
  • 日付:2026年10月22日(木)

19 しかし民は拒んで、サムエルの言うことを聞こうとしなかった。そして言った。「いや。どうしても、私たちの上には王が必要です。
20 そうすれば私たちもまた、ほかのすべての国民のようになり、王が私たちをさばき、私たちの先に立って出陣し、私たちの戦いを戦ってくれるでしょう。」
21 サムエルは、民のすべてのことばを聞いて、それを主の耳に入れた。
22 主はサムエルに言われた。「彼らの言うことを聞き、彼らのために王を立てよ。」それで、サムエルはイスラエルの人々に「それぞれ自分の町に帰りなさい」と言った。

民は「サムエルの言うこと」を聞こうとしません。どうしても王が必要である、と言い張ります。「ほかのすべての国民(こくみん)」、この聖書の他のところでは国民を「くにたみ」と読ませているところが多いのですが、ここでは(こくみん)とルビがふってあります。何か区別があるのでしょうか。

サムエルは、「民のことばを聞いて、それを主の耳に入れた」と聖書は語ります。自分のことばを聞こうとしない民のことばを、サムエルは聞きました。そういうことばは、重荷のようなものだと思います。サムエルは、その民のことばを、「主の耳に入れ」ました。祈った、ということだと思いますが、聖書は、耳に入れた、と語ります。お耳に入れておこうと思いまして、みたいな感じでしょうか。主は答えてくださいました。「彼らの言うことを聞き、彼らのために王を立てよ」。その神さまのことばを聞きサムエルは民に答えました。「それぞれ自分の町に帰りなさい」。あとは私のほうでするので、任せて、それぞれ自分の町に帰りなさい、ということでしょうか。上申書の提出は受理され、デモは解散、といったところでしょうか。

「彼らの言うことを聞き、彼らのために王を立てよ」という主のことばは、民のことばを受け入れたということではありますが、それは同時に民に対するさばきのことばでもありました。自分の願い通りにことが運ぶ、ということは、その願いが間違ったものであるならば、自分に対するさばきとなるのです。

こうしてイスラエルに最初の王サウルが立てられることになります。王は民の求めによって立てられたのです。いわば民意によって王が立てられた。それがイスラエルの王でした。そしてこの王がイスラエルを誤った方向にいざない、結果的に民は苦しめられることになります。

民意は民主主義において大切なことです。私たちの国も主権は国民にありますから、国民の意見が国の運営に反映されなければなりません。しかし排外主義の背景にあるポピュリズム、大衆迎合主義とは区別されなければなりません。民主主義と大衆迎合主義とは似て非なるものではないかと思います。