わたしが王として彼らを治めることを拒んだ

静まりの時

  • テーマ:この世と神の国
  • 聖書箇所:第一サムエル8・4~18
  • 日付:2026年10月21日(水)

6 彼らが、「私たちをさばく王を私たちに与えてください」と言ったとき、そのことばはサムエルの目には悪しきことであった。それでサムエルは主に祈った。
7 主はサムエルに言われた。「民があなたに言うことは何であれ、それを聞き入れよ。なぜなら彼らは、あなたを拒んだのではなく、わたしが王として彼らを治めることを拒んだのだから。

民が王を求めたことは、サムエルの心を痛めました。それでサムエルは主に祈ります。主はすぐに答えてくださいました。

「彼らは、あなたを拒んだのではなく、わたしが王として彼らを治めることを拒んだのだから」。

おそらく神さまを拒んだつもりは民にはなかったと思います。民は、サムエルの息子たちの所業に困り果て、イスラエルの行く末を案じただけだと思います。近隣の国を見て、王政が国を安定させ、国力を増強し、列強の中で優位に立てると判断したのです。

しかし、王を求める、ということは、すなわち神が治めることを拒むことでした。神さまは王が立てられたならばどういうことが起こるかを民に伝えるようにとサムエルに言われました。「彼らに自分たちを治める王の権利をはっきりと宣言せよ」。

王が立てられると、徴兵が開始される、税の取り立てがはじまる、人材を拠出させられる。そうして国を豊かにすると称して結局権力を手にしたものが豊かになるために、人びとは搾取され使役させられるのだ、と。

驚くべきことに、民はこの言葉を聞いても王を求めることを止めませんでした。「いや。どうしても、私たちの上には王が必要です。そうすれば私たちもまた、ほかのすべての国民のようになり、王が私たちをさばき、私たちの先に立って出陣し、私たちの戦いを戦ってくれるでしょう。」

「私たちの戦いを戦ってくれるでしょう」。この言葉が偽りであることは歴史が証明しています。軍隊は王の軍隊であって王を守るためにありますから、王を守ることと民を守ることが対立したときには、軍隊は王を守るために民を見捨てます。先の大戦が語るところです。軍は自分たちが生き残るために民を搾取し、盾にし、殺害しました。

王は、無制限に権力が与えられている存在ではなく、神さまによって立てられているひとつの役割であることが見失われてはならないのだと思います。王も民もそれが確かにされなければなりません。

近代、宗教的な権威と政治的な権力とは分けて考えることが大切であるとされました。政教分離は大切なことです。教会がさまざまな立場、考え方をもっても自由に集うことの出来るところであるためにも大切です。しかし今なおこの政教分離が不明確な国がたくさんあり、そこでは自他の人権が侵害されているように思います。

権力者は、この宗教的な権威を利用して民を掌握し、自らの権力を保持しようとします。そうして帝国主義的、覇権主義的な勢力を増強します。主にある者は、時世を冷静に見つめつつ、何が主に喜ばれることであるのかを祈っていかなければならないと思います。