聖書の言葉だけを沈黙のうちに聴き続ける

参考書も用いず、原典を開くこともなく、ドイツ語の聖書の言葉だけを沈黙のうちに聴き続ける。それはまずみ言葉をくちずさむことから始まる。暗記するほどに口の中で繰り返す。声に出して言ってみる。黙って、その言葉がこころのうちに立てるさざ波に身を任せる。こころに浮かぶ想念をそれと絡ませる。そこに生まれる思いを自分の言葉で言い表してみる。それは必ず実を結ぶとの祝福のもとにある営みであると知るとき、平安な思いでみ言葉に身を委ねる。ドイツの地で与えられた最も豊かな学びのひとつとなった。

加藤常昭、『み言葉の放つ光に生かされ』、295頁

2020年10月4日(日)

日本のプロテスタント教会においても黙想会が開かれるようになりました。しずかにみ言葉に沈潜するとき、全身をもって静まるとき、です。もともと教会において大切にされてきたものです。聖書の言葉そのものに出会うこと、そしてそこでこそ神さまにお出会いすること、です。

「いかに幸いなことか 神に逆らう者の計らいに従って歩まず 罪ある者の道にとどまらず 傲慢な者と共に座らず 主の教えを愛し その教えを昼も夜も口ずさむ人。その人は流れのほとりに植えられた木。ときが巡り来れば実を結び 葉もしおれることがない。」(詩編1・1-3)