牧師の日常と雑感
静まりの時
11 そしてこう言った。「ガリラヤの人たち、どうして天を見上げて立っているのですか。あなたがたを離れて天に上げられたこのイエスは、天に上って行くのをあなたがたが見たのと同じ有様で、またおいでになります。」
復活された主は40日間弟子たちに現れたあと、天に上げられました。今年のイースターは4月5日でしたので、それから数えて40日目は、今日となります。今日は2026年の昇天日です。キリスト教国では祝日となりお休みで、この日にミサ・礼拝が行われます。日本では祝日ではありませんので、カトリックなどでは特例として今度の日曜日を昇天日としてミサ・礼拝が行われます。プロテスタントでは教会歴はそれほど重視しませんので、今日が昇天日であることをことさら強調する教会は少ないと思います。
ルカの福音書の最後にもイエスさまの昇天の様子が記されていますが、ルカはこの使徒の働きでも冒頭でイエスさまの昇天の様子を書きました。イエスさまの昇天は重ねて記されなければならないほどに大切なことです。
昇天に先立って弟子たちはイスラエルの再興の時を尋ねました。それに対してイエスさまは次のように答えられました。
7 イエスは彼らに言われた。「いつとか、どんな時とかいうことは、あなたがたの知るところではありません。それは、父がご自分の権威をもって定めておられることです。
8 しかし、聖霊があなたがたの上に臨むとき、あなたがたは力を受けます。そして、エルサレム、ユダヤとサマリアの全土、さらに地の果てまで、わたしの証人となります。」
いつとか、どんな時とかいうことは、知らなくてもよい。父なる神さまがご自身の権威をもって定めておられることなので、それにゆだねよ。もしいつとか、どんな時とかを知ろうとするならば、それは神を超えることである、神になろうとすることである。人間であるあなたがたは知らなくてもよい。知らないということのなかに謙遜に立ち続けよ、と。
もう一つは、まもなく聖霊があなたがたの上に臨む。そのときあなたがたは力を受ける。力を受けると、キリストの証人となる。キリストの証人となって、このエルサレムから始まって、ユダヤ全土、サマリヤの全土、さらに地の果てにまで、証人として遣わされていく、と主は言われました。
そう言って主は昇天されました。
イエスさまが天に上げられ弟子たちの目に見えなくなられましたが、弟子たちは、その天を見つめていました。すると
10 イエスが上って行かれるとき、使徒たちは天を見つめていた。すると見よ、白い衣を着た二人の人が、彼らのそばに立っていた。
11 そしてこう言った。「ガリラヤの人たち、どうして天を見上げて立っているのですか。あなたがたを離れて天に上げられたこのイエスは、天に上って行くのをあなたがたが見たのと同じ有様で、またおいでになります。」
「どうして天を見上げて立っているのか」。この天使の問いは、信仰に生きる私たちに新しい生き方を指し示していると思います。信仰はある意味で天を見上げることです。しかし天使は、どうして天を見ているのか、あなたがたがしなければならないことは他にあるのではないか、キリストは昇天の際、あなたがたはキリストの証人となる、と言われたのではなかったか。キリストの証人となるのだからほかにすべきことがあるのではないか。
そこでもう一つ重要なことが天使から語られます。昇天されたイエスさまは「またおいでになります」。再び来られる。しかもこの昇天と同じ有り様で来られる。すなわち、一回目に来られたときは、マリアさんの胎をかり赤子として来られました。しかし次に来られるときは、そうではない、この昇天と同じように来られる、雲に包まれて再び来られるのである、つまりまことの王、祭司、預言者としての圧倒的な力をもって来られる、と言われました。
キリスト教会は、この再臨を信じています。信じて待ち望んでいます。再臨を待ち望む信仰が、天を見つめる生き方ではなく、この地に向かってキリストの証人となる道を備えます。健やかな宣教、証し人としての歩みは、再臨信仰によって築かれるのです。そして健やかな再臨信仰とは、その時がいつか知らないということ、天を見つめるのではなく地を見つめていくこと、なのです。
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