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めぐみパンくず

しかし、聖霊をけがす者はだれでも、永遠に赦されず、とこしえの罪に定められます。”

            マルコ3章29節

◎ナザレの大工として30歳まで過ごされたイエスさま。そのイエスさまが仕事をすて親族をすてて、一見、奇妙に見える集団を引き連れて行動されることに、家族は不安になり、中には「気が狂った」と言う人まで出てきました。

◎またエルサレムから下って来た律法学者は、イエスさまの悪霊追い出しのみわざを「ベルゼブル(ハエの神の意)悪霊のかしらによって悪霊を追い出している」と批判したのです。

◎イエスさまはそれに対して、悪霊の内輪もめでない、内輪もめは分裂を引き起こすだけだと言われ、むしろご自身は悪霊のかしらを縛るために来たのだと言われます。そして、イエスさまのみわざは悪霊どころか、聖霊のみわざであることを語られるのです。

◎「人はその犯すどんな罪も、神を汚すことも赦されるが、聖霊を汚す者は誰でも永遠に赦されることがない。」と言われます。この意味は?

◎イエスさまは2千年前、十字架に架かり、復活されました。現代の私たちがそのことを信じることが出来るのは。聖霊の働きによるのです。イエスさまの十字架の救いも、神の子としての成長も、そして天国へ迎え入れられることも、みな聖霊のお働きによるのです。ですから、「聖霊を汚す者は永遠に赦されることがない。」と言われるのです。キリスト者は聖霊と共に歩む者です。この「助け主」ヨハネ16:と呼ばれるお方にいつも信頼して前進したいものです。

めぐみのパンくず

さて、イエスは山に登り、ご自身のお望みになる者たちを呼び寄せられたので、彼らはみもとに来た。そこでイエスは十二弟子を任命された。”

            マルコ3章13、14節

◎イエスさまはその働きにおいて非常に重要な時が来ていることを覚え、そのメッセージを広げ永続させることが必要と思われました。そこで弟子たちを集め、一緒に住むために召し、遣わすためにメッセージを与え、力を授けられたのです。

◎弟子たちの名前を見てみましょう。まずシモンが出てきますが、彼はペテロと命名されます。初代教会の中心的人物にやがてなるところのシモン(小石)をペテロ(大岩)と呼ばれました。

◎次にヤコブとヨハネの兄弟ですが、彼らに「ボアネルゲ「雷の子」となずけられました。この二人は激しい性格の持ち主だったのでしょう。後にサマリヤの人々がイエスさまを受け入れなかった人たちをイエスさまに「主よ。私たちが天から火を呼び下して、彼らを焼き滅ぼしましょうか。」ルカ9:54と言うほどに。しかしこの「雷の子」たちが愛の人に、また弟子たちの最初の殉教者となるまでに変えられます。

◎マタイは孤独な取税人、熱心党員のシモンは徒党を組んで外国人からの、くびきを解放しようとした人、バラエティにも飛んでいます。

◎しかしながら、悲しいこともマルコは伝えます。この弟子たちの中に、イエスさまを裏切ることになるユダが入っていたのです。新聖歌404番3節「ユダになるまじ」との警告を心したいと思います。

めぐみのパンくず

『安息日は人間のために設けられたのです。人間が安息日のために造られたのではありません。人の子は安息日の主です。』マルコ227,28

◎安息日は神さまがこの世界を創造され、7日目に休まれたところから始まりました。正しい意味で安息日が行使できれば良かったのですが、ユダヤ人(パリサイ人)たちは間違った理解をしていたのです。二つの点においてその間違いを見ます。

◎第一は弟子たちが麦畑で穂を摘み食べ始めたこと、第二はイエスさまが安息日に手のなえた人を癒されたことに対してです。麦畑で穂を摘んで食べることは(刈ってはいけない)許されていました。しかし、安息日にしたことが問題となりました。イエスさまはかってダビデが空腹の時、祭司しか食べられない食物を食べたことをあげ、神さまは無慈悲なお方ではないことを示されます。

◎手のなえた人の癒し。安息日において、死地にある人以外は、治療できないことになっていたのです。イエスさまはこのことの間違いを示すため、その人を「真ん中に立たせて、「安息日にしてよいのは善を行うことか、悪を行うことか。いのちを救うことか、殺すことか」3:4とパリサイ人に問われます。応答できないイエスさまの追求です。安息日は善の日であり、生かされる日であるはずなのに、この手のなえた人にとっては一刻も早く癒されたかったのに、そこに癒し主がおられるのに、パリサイ人は心頑なに受け入れませんでした。キリスト者は安息日の真の意味を覚える、めぐみの存在です。