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めぐみのパンくず

イエスは深くあわれみ、手を伸ばして、彼にさわって言われた。わたしの心だ。きよくなれ。」”

              マルコ 1:41

◎ひとりのハンセン病の患者の癒しです。ガリラヤ全地にイエスさまの病人を癒し悪霊を追い出される御業がなされました。その噂を聞き、やって来たのでしょう。

◎この病は汚れた者として、他の人々とは距離を置き、決して触れてはならないものでした。(ルカ17:12)その彼が大胆にもイエスさまのみもとにお願いに来たのです。その言葉は「癒して下さいます。」ではなく「きよくしていただけます。」でした。

◎イエスさまのみわざは「きよくない」と思う者をきよくされる、みわざです。キリスト者は聖なる神さまを真実に知るとき、きよくされなければならない存在であることに気づきます。山上の垂訓(マタイ5章)に「心のきよい者は幸いです。その人は神を見るからです。」とイエスさまは言われましたが、この時も、最初にイエスさまのもとに来た人はハンセン病の人でした。汚れを覚える時、大胆にイエスさまにお願いできる人は幸いです。

◎ハンセン病はたちまち癒されました。その人にイエスさまは「誰にも言わないようにしなさい。」そして、決められた信仰の慣例を行いなさい」Vs44と戒められました。イエスさまのみわざに対して、神さまへの感謝が第一です。そして「決められていたささげものをしなさい」と。きよくしてくださったイエスさまの勧めよりも、嬉しさだけが先走ってしまったことは残念なことです。

めぐみのパンくず

イエスは、彼女に近寄り、その手を取って起こされた。すると熱が引き、彼女は彼らをもてなした。”             マルコ1:31

◎会堂で汚れた霊に悩まされている人を癒された主はシモンとアンデレの家に行かれます。そこにはシモンの姑が熱病で苦しんでいました。ルカの福音書では「高い熱」と記されています。イエスさまは手を取って起こされ癒されます。

◎癒されたことも素晴らしいですが、癒された姑が早速、イエスさま初め皆をもてなしたことです。感謝のあふれる接待であったと思います。聖書には癒されて後、さっさとイエスさまから離れてしまう人も描かれています。キリスト者のモットーとして「奉仕するために、救われた」と言う言葉がありますが、健康は主のためと覚えることが出来るキリスト者でありたいものです。

◎夕方になると大勢の病める人々が戸口までやって来ました。安息日には何もしてはならず、終わるや否や彼らはイエスさまのもとに来たのです。イエスさまは悪霊を追い出し、病をいやされました。感謝な事、素晴らしいことですが、イエスさまを愛することを忘れて、癒し主としてしか見ない人が大勢いることも忘れてはいけません。癒されたら一層主を愛する者とさせていただきたいものです。

◎イエスさまは、朝早く暗いうちに祈りをなさいます。霊的にも肉体的にもお疲れになっていたのでしょう。祈りは「神さまと交わり、神さまからの力を養う時」です。イエスさまは父なる神さまとの交わりを何よりも大切な時とされました。他の所での働きのためにも。

めぐみのパンくず

人々はみな驚いて、互いに論じ合って言った。「これはどうだ。権威のある、新しい教えではないか。汚れた霊をさえ戒められる。すると従うのだ。」”      マルコの福音書1章27節

◎マルコ伝には 癒しの記事が13回記されている。(ハンセン病、中風、なえた手、ヤイロの娘(死んだが生き返らされた)、長血の女、耳が聞こえず下がまわらなかった男、盲人バルテマイの癒しなどです。

◎その中で悪霊に取りつかれた人の病が5回、加えてベルゼブル論争があり、多くの病の癒しの中で最初に書かれているのが「汚れた霊に取りつかれた男」の癒しです。しかもイエス様が安息日にカぺナウムの会堂で教えられた時に起こったことが記されているのは興味深いことです。

◎イエスさまの教えを聞いていた人々の中に、汚れた霊に取りつかれた男が大声で喚きました。それは「神の子が現れたのは、悪魔のしわざを打ち壊すためです」Ⅰヨハネ3:8のみことばのとおりイエスさまの力におびえたのでしょう。

◎また、汚れた霊は「あなたは神の聖者です」Vs24と告白しています。悪霊自身がイエスさまを聖者と告白しているのです。人間以上にイエスさまの存在を彼らは知っているのです。しかし、イエスさまは悪霊にご自身を告白して欲しいとは決してお考えになりませんでした。

◎悪霊の住み家は人の心であり、それを追い出す権威をもってイエスさまは来られました。心の真ん中にイエスさまをお迎えして聖なる霊が宿って下さるキリスト者であることを信じて。