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めぐみのパンくず

しかしマリヤは、これらのことをすべて心に納めて、思いめぐらしていた。” ルカ2:19

◎ベツレヘムの馬小屋で誕生なさったイエスさま。母マリヤは天使ガブリエルのお告げ以来のことをしみじみと「思いめぐらし、熟考していた」のです。胎内に子供が宿った日以来、誕生までのことをマリヤだけでなくても母となった女性は懐妊して以来の日々を思いめぐらし喜びがあふれてくるのではないかと考えます。

◎イエスさまの誕生以来、成長されていく段階でイエスさまが12歳になられた時、母マリヤは「心にとめる」時がもう一度来ました。過ぎ越しの祭り出来事です。帰路の途中、イエスさまの姿がなく慌てた両親はエルサレムに引き返し捜し回ります。三日の後ようやく見つけた息子イエスさまは、何と、宮で教師たちに聞いたり、話したりしておられました。心配し咎める両親に向かってイエスさまは「わたしが必ず自分の父の家にいることをご存じではなかったのですか。」と言われました。これらの出来事もマリヤは「心にとめていた」のです。

◎クリスマスは私たちキリスト者の心に生まれて下さった主を深く「思いめぐらし、心にとめる」時だと思います。また、イエスさまが成長されたようにキリスト者も信仰成長にいっそう思いをはせる時なのです。神さまは生まれた者を成長させることができなさるお方なのですから。

◎主を救い主としてお迎えした者の成長に必要なものは信仰です。具体的にはみ言葉を愛し咀嚼し、み言葉によって祈ることです。クリスマスの祝福が豊かにあらんことを!

めぐみのパンくず

「神にとって不可能なことは一つもありません。」

マリヤは言った。「ほんとうに、私は主のはしためです。どうぞ、あなたのおことばどおりこの身になりますように。」     ルカ1:37,38

◎エリサベツに子が宿って、6か月目の出来事です。み使いが乙女マリヤに現れました。今度は聖霊による、救い主誕生の受胎告知です。み使いは「おめでとう」「恵まれた方」「主がともにおられる。」と告げます。マリヤの方は突然であり、ひどくとまどい、何のことか考え込みました。

◎み使いはそのマリヤに対して「恐れるな、神からの恵みを受けたのだから」と語り、生まれる子の命名、権威と統治を告げました。

◎マリヤの心配はもう一つ、自分が処女であったことです。これに対してもみ使いは丁寧に聖霊による御子の誕生を語ります。子供の誕生など考えられなかったエリサベツのたとえも交えて。

◎なぜそのようなことが可能なのか。37節に「神にとって不可能はない」とありますが、「不可能」という言葉は「福音・教え、命令、指図、預言、告知、恫喝)」などの意味ある強い言葉が使われており、加えて「すべてのことに」と言う言葉も使われています。大切な告知ゆえにです。

◎マリヤは、信仰をもってみ使いの言葉を受け入れました。その故に、ギリシャ語の聖書を見てみますと。「見よ、主のはした女がいます。あなたのおことばどおり私になりますように」と告白することができました。

◎まことのクリスマスの意味を知っているキリスト者、クリスマスにもう一度マリヤの言葉に傾聴したいものです。

めぐみのパンくず

「主は人々の中で私の恥を取り除こうと心にかけられ、今、私をこのようにしてくださいました。」”      

ルカ1:25

◎バプテスマのヨハネの母エリサベツの告白です。祭司ザカリヤ、エリサベツ夫妻には子供が与えられていませんでした。イスラエルでは子供が与えられることは神の大きな祝福でした。しかし、その祝福がなかったのです。この夫妻は「神のみ前に正しく、主のすべての戒めを落ち度なく踏み行っていた」vs6にかかわらず。

◎神の祝福の時が来ました。祭司ザカリヤが当番で神殿の中で香をたく時、み使いガブリエルがあらわれ、子供の誕生を告知したのです。しかし、ザカリヤには信じられませんでした。その結果、聖書は「おしになった」と記します。信仰がないと良きおとずれを聞いても素直に受け入れられないのです。

◎神は不信仰を超えて約束を履行されます。エリサベツに子供が宿ったのです。5か月引きこもって、エリサベツはよろこびの声をあげます。25節の言葉です。「恥を取り除いて下さった」と。恥じ(オネイドス)には悪口を言う、罵詈、侮辱、非難などの意味ある言葉が使われています。人の口に戸は立てられないと言いますが、面と向かっては言われなかったとしても、悪評されていることを感じていたことでしょう。その払拭を神に感謝しているのです。エリサベツは、サラやサムソンの母を(いずれも高齢で出産)思い描いていたでしょうか。

◎「教会に霊の子どもを神さま与えて下さい」と願いたくなるみ言葉です。