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めぐみのパンくず

“「わたしは、高く聖なる所に住み、心砕かれて、へりくだった人と共に住む。へりくだった人の霊を生かし、砕かれた人の心を生かすためである。」    イザヤ書 57:15

◎イザヤが信じた神は「聖なる方」でした。人間のきよさを超越した聖さです。その聖なるお方が、人間と共に住むと約束して下さるのです。驚くべきみ言葉の約束です。聖なるお方と共に住む人とは!

◎第一に「心砕かれた人」です。それはダビデが、殺人と姦淫という大罪に陥った時、預言者ナタンの迫りに、神と人々の前で赤裸々に罪を告白したとき赦されて「神へのいけにえは、砕かれたたましい。砕かれた、悔いた心。神よ。あなたは、それをさげすまれません」詩篇51:17と告白したように、イエスさまの十字架の救いを自分のためと信じ、真実に悔い改めた人なのです。

◎第二に「へりくだった人」と共に住まわれるのです。イエスさまの母マリヤは天使ガブリエルのお告げを受けた時に語っています。「主によって語られたことは必ず実現すると信じきった人は、何と幸いなことでしょう」「そのあわれみは、主を恐れかしこむ者に」ルカ1:45,50と。み言葉を聞き、み言葉を信じ、恐れかしこむことのすばらしさを教えてくれています。みことばの前にへりくだって約束を待ち望む恵みです。

◎聖なるお方と共に永遠に住むことの約束を信じるほどの幸いは他にありません。

めぐみのパンくず

わたしの家は、すべての民の祈りの家と呼ばれるからだ。”         イザヤ書56:7

◎安息日の幸いが記されています。しかし、読めば読むほど、旧約的な安息日ではなく、新約時代の安息日が記されています。

◎旧約時代の安息日は土曜日でした。今も頑なに土曜安息を守り礼拝している派がありますが、新約時代において、イエスさまが復活し弟子たちに現れなさったのが日曜日です。ですから、キリスト者はイエスさまの復活のいのちに与っている者として、日曜礼拝を守るのです。

◎イザヤが言う安息日を守る者の特権と祝福とは、誰でもです。どんな人でもと言った方が良いでしょうか。旧約時代、礼拝に参加できなかった宦官もその対象に入れられ、外国人も守るようになるというのです。聖書の神は、全世界の人々の神であるのです。

◎そこで、安息日、礼拝の恵みが記されています。Vs6に1、主に連なる2、主に仕える 3、主の名を愛する 4契約を堅く保つ者、と書かれています。礼拝はイエスさまにつながり、ご奉仕であり、聖いみ名を愛する、また、契約とは十字架の恵み、復活の望みを堅く覚える時なのです。当然、主を喜ぶ心がわいてきます。

◎そして、教会が祈りの家であることが記されています。「聖なる山に連れて行き」とVs7ありますが、アブラハムが息子イサクをささげたように、イエスさまがキリスト者のための、全焼のいけにえになって下さったことを心から感謝する祈りの場なのです。

めぐみのパンくず

わたしの口から出るわたしのことばも、むなしく、わたしのところに帰ってこない。必ず、わたしの望むことを成し遂げ、わたしの言い送ったことを成功させる。”    イザヤ書55 :11 

◎キリスト者は主の祈りの中で「みこころの天になるごとく、地にもなさせたまえと」と祈ります。そうは祈るものの、日々の生活の中でギャップを感じる時があることを知ります。神さまのみこころにそぐわない中で、失望したり、あきらめになったりすることが多いのです。

◎しかし、そんな自分に気づく時にこそ、神さまの偉大さに触れることができるのです。神は豊かな赦しを持ったお方です。悪者も不法者さえも主に帰れば豊かに受け入れて下さるほどのお方なのですから。

◎そこで、神さまの偉大さをもう一度、より深く知りたく思います。「天が地よりも高いように、わたしの道は、あなたの道より高く、わたしの思いは、あなたの思いより高い」Vs9と。天と地の間がどれくらいのものか、感覚としてはわかるようですが、実際に測ることはできません。測り知ることができないお方の御計画の中にキリスト者は入れられていることを。

◎それら一切を保証してくださるのが、神の口から出るみ言葉です。信仰生活の中でみ言葉による体験をさせていただくこと、また心から信じ受け入れることができることほど幸いなことはありません。「いばらの代りに、モミの木が、おどろの代りにミルトスが生える」Vs13とありますが、もつれ、絡み合う一切のこともさえも、み言葉は唯一の解決に導くのです。