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めぐみのパンくず

あなたの若い日に、あなたの創造者を覚えよ。わざわいの日が来ないうちに、また「何の喜びもない」と言う年月が近づく前に」”

伝道者の書12:1

◎「敬老の日」は日本にだけある祝日だそうです。「としよりの日」から始り「敬老の日」になりました。

文字どうり「老人が敬われる日」です。牧師が子供の頃には老人が尊敬され敬われている姿をあちこちで見たように思います。

◎キリスト者は聖書から、老人とは何か、霊的にも肉体的にもどう言った存在であるか、しっかりと心にとどめておきたいものです。レビ記20:32には「老人の前では起立し、敬え」と尊敬を持たれる存在として記されています。反対にテトス2:2には「自制、謹厳、慎み深さ、信仰と愛と忍耐」が健全にあるようにと老人への勧が記されています。ともすれば頑固になりやすい存在ですから、そのように勧められているのです。

◎伝道者の書に目を向けてみたいと思います。Vs2~6までに、比喩をもって、肉体の衰えて行くさまが記されています。足・手・歯・背骨・視力・聴力・噛む力の低下、坂道を恐れ、朝早く目ざめ、そして声にも張りがなくなります。それらの事が春(青春)と対比Vs5して書かれているのも意味深長です。現在どんなに元気だと思えても、キリスト者はよく知っておくことが大切です。

◎VS13に「神を恐れ、命令を守れ」とありますが、若い人たちよりも天国が近づいている存在として、神の前に身を正していきたいと思います。

神さまと人とに愛される晩年でありますように。

めぐみのパンくず

あなたの天幕の場所を広げ、あなたの住まいの幕を惜しみなく張り伸ばし、綱を長くし、鉄のくいを強固にせよ。”   イザヤ書54:2

◎上のみことばは、宣教のビジョンによく語られるところです。実際、宣教師のさきがけとなった、イギリスのウイリアム・ケアリーはこのみ言葉を引用しつつ「神から大いなることを期待せよ。神のために大いなることを試みよ」叫んで、自らインド宣教にその一生涯をささげたと言われます。

◎しかし、み言葉はすべてのキリスト者に語られています。十字架の恵みを体験した者は信仰生活の広がりを経験させられるのです。幾つかのことが記されています。

◎結婚をモデルとしてです。花婿は主、花嫁は信者であり、その愛の結び付きが強固にされるのです。夫である主の約束は「恐れるな」です。内容は「恥を見ない」Vs4「見捨てられない」と言われます。見捨てられたのではと思うキリスト者がしばしありますが「たとい山々が移り、丘は動いても~愛と平和の契約は、移らず、動かず」と言われるのです。ノアの日のことが記されていますVs9。神は二度と洪水を地上におくらないと宣言されました、そのように。

◎11節からは宝石の美しさをもって、教会を飾ってくださり、美しく整えて下さる約束が記されています。アンティモニ、サファイヤ、ルビー、紅玉などを実に美しく堅固に守って下さいます。

◎「あなたは、義によって堅く立ち」VS14をしっかりと握りましょう。なぜなら54章は53章を(十字架の贖いと復活の章)を確信した者だけに約束されているのですから。

めぐみのパンくず

彼は痛めつけられたが、それを忍んで口を開かず、ほふり場に引かれて行く小羊のように、毛を刈る者の前で黙っている雌羊のように、彼は口を開かない。”  イザヤ書53:7

◎イザヤ書の中で最もよく知られ、読まれている章が53章です。「苦難の僕」とか「受難の僕」と言われるところです。旧約聖書を堅く信じているユダヤ教の人たちがこの章を読みますと、しばしば涙を流すのです。そして「これは誰のことですか」と聞きますと「私たちはこのお方を待ち望んでいるのです。」と答えるそうです。

◎キリスト者は「苦難の僕」が誰であるか知っています。人類の罪のため、父なる神の御心に従って黙々とゴルゴダの丘へ歩まれたイエスさまだということを。

◎イエスさまは「悲しみの人」でした。自己憐憫ではありません。人間の罪がいかに神との間を分離していたかご存じであり、ゲッセマネの園で苦き杯を受ける決意を神の前に表されたイエスさまは、ポンテオピラトや大祭司の前で裁かれなさったときも微動だにせず、人々が嘲笑と罵詈讒謗を浴びせた時にも、黙って十字架の道を歩まれたのです。

◎しかしながら、この章はイエスさまの死だけを伝えているのではありません。墓に葬られなさいますが、よみがえりなさることをも記しています。“彼は末永く、子孫を見ることができる”Vs10は復活を現しているのです。Vs12では「そむいた人たちのとりなしをする」とあります。天上で今も聖徒たちのために、全世界のためにとりなしておられるイエスさまの預言です。ヘブル7:25