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めぐみのパンくず

あなたがたは、あわてて出なくともよい。逃げるようにして去らなくても良い。主があなたがたの前に進み、イスラエルの神が、あなたのしんがりとなられるからだ。”   イザヤ書52:12

◎イスラエル民族にとって大きな体験がありました。それは出エジプトであり、バビロン捕囚からの帰還でした。この二つの体験が聖書を読む、キリスト者にも当てはまることがあるでしょう。

◎出エジプトは、キリストの十字架の贖いに象徴される罪からの脱出でした。聖書は言います。「腰に帯を引き締め、足にくつをはき、手につえを持ち、急いで食べなさい。」と性急に神は迫られました。イエスさまの救いがわかれば後延ばしにしてはいけないということでしょう。

◎それに対して、バビロンからの解放は「あわてて出なくても良い。逃げるように去らなくても良い」と神は言われるのです。その理由は、「イスラエルの神、主が前に後ろに進んでくださる」からと言うのです。

◎救い(出エジプト)入るときは、あれほどせかされた主が、バビロンからの帰還はゆっくりで良いと言わんばかりです。なぜでしょう。キリスト者には、救われてからも闘いがあります。バビロンに象徴される、この世の様々な信仰を失わせようとする力です。富みに惑い、この世の楽しみに迷うこともあるでしょう。それ以上にキリスト者としての内面の闘いが起こります。「汚れたものに触れてはならない」Vs11。自らの力ではどうにもならないことに気づく時があります。神はそのことを通しても解放に導いてくださるのです。

めぐみのパンくず

あなたがたの切り出された岩、掘り出された穴を見よ。”     イザヤ書51章1節

◎キリスト者は信仰によって義とされたことを信じるものです。しかしながらそこにとどまっているばかりではありません。義とされたことの内容をより深く知って行く存在でなければなりません。

◎預言者イザヤは、「切り出された岩、穴を見よ」と言いました。この世に埋もれていた私たちの存在を思い出せと言うのです。神さまは見事な彫刻師となってごつごつした岩のような者を掘り出し神の作品に仕立てあげて下さるのです。ミケランジェロやロダン以上のわざです。そのモデルがアブラハムとサラに譬えられています。「彼ひとりを呼び出し、彼を祝福し・・」vs2と。

◎神の作品は神に聴従します。Vs1,4,7.4節の「わたしに心を留めよ、わたしに耳を傾けよ」とありますが英訳では「聞け、わたしの民、わたしに耳を与えられた者」とあります。神に彫刻されたのは、目的があるからです。神の御声を聞く存在です。情報量がますます多産の時代、それゆえにこそ、神の御声が消されることがありませんように。

◎最後に、イザヤが繰り返し言うことですが、「神さまは慰めてくださるお方だ」と。ここでの慰めは人間関係の中でかけられている言葉です。「あなたは何者なのか。死ななければならない、人間」を恐れるとは。「それは草にも等しい」存在と40章で語られたみ言葉を繰り返します。

またキリスト者は、神のみことばを口に置いている者、全能者の陰に身を隠す者とイザヤは言います。「何者であるか」しっかり確かめたいと思います。